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2013年08月30日

●母の生涯


8月30日 母 友子の神葬祭が滞りなく終わりました
生前は皆様に大変お世話になりました
ここに深く御礼申し上げます


 母の満85歳誕生日8月17日の写真です これを撮って下さった上山みゆき会病院看護士スタッフの皆さんありがとう



                   喪主あいさつ

 本日はお忙しい中、母友子の神葬祭にご列席戴きまして誠に有り難うござい
ます。

 母は満八十五歳にして遂に病に倒れて此の世を去りました。思えば父の通院
の付き添いで30年近く毎週のように大学病院に行っていながら自分の身体の
事などは二の次でした。というより母が言うには、まだ小さかったころ当時生家
の近所の医者からジフテリア予防の接種を受けた際錆びかけた注射針で痛い
思いをして注射されその後腫れ上がってしまったのが忘れられずすっかり医者
嫌いになったのだそうです。市の健康診断も受けずこれまで生きてこられたの
が不思議なくらいです。

 母は楯岡女学校時代、学徒動員で横須賀の軍事工場に行き戦闘機か大砲か
何に使われるのも知らされず唯々水準器の部品をヤスリで作っていたそうです。
北村山郡戸澤村大字白鳥の実家の両親からは手紙と一緒に長ぐつに忍ばせて
お米や味噌などを送ってくれて宿舎で泣きながら食べたとも言っておりました。
そして空襲警報に怯えながら水のしたたる防空壕で過ごした日々。幸い横須賀
は日本海軍の要塞だったためか爆撃に遭うことはなく玉音放送を聴くことができ
たそうですが女学生にとっては何のお言葉なのか理解できず先生から内容を
教えていただいたのだそうです。

 そういう時代に青春時代を生きたものですからものすごく我慢強く、私から
みれば強情という程でした。ですので患ってからも何処も痛くない、こわい(山形弁でだるい)
だけだと言っては皆を安心させてはいましたが、もしかしたら我慢していたのか
も知れません。自分の事より人の事を案ずる性格はこうした人生から生まれた
のでしょう。

お母さん、今まで面倒みてくれて本当にありがとう。あの世で親父と仲良く
暮らして下さい。また親父がお袋に面倒をかけるかも知れませんが。

初秋に入りこれから過ごしやすい季節を迎えます。皆様の変わらぬご健康を
お祈りし、これからも今まで同様どうぞよろしくお願い申し上げます。




諡(おくりな) 故韮澤友子淑妙大刀自 (もとの にらさわゆうこ よしたえおおとじ) 命(みこと)

淑:淑女の意
妙:一念の意 (父に尽くしたことから)

神道大教清光院小教会


  母 古稀70歳同窓会時での写真です 15年前ですがあしからず.....


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